福音を中心とした生活:日本

生き方を変える力を持つ福音をあなたの日々の生活に結び付ける

不倫に関する統計と、福音による望み (Adultery Statistics & Gospel Hope)

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r-ADULTERY-large570By Joey Zorina.   (Click to read in English HERE)

不倫に関する統計と、福音による望み

「旧約には、もし姦淫をしたら殺されなければならないと書かれています。(レビ2010)新約には、相手が姦淫をしたら離婚できるとあります。(マタイ53219-9)そして、もし悔い改めなければ、神の国を相続することはできません。(Ⅰコリント69-10)すべての罪は神にのろわれるものですが、すべての罪が同じように破滅をもたらすわけではありません。姦淫の結果は広範囲におよび、受け継ぐべき遺産を変えてしまい、神との契約を損ないます。」(The Big Blog Post on Adultery

イエスが来たとき、「律法や預言者」を廃棄するためではなく、むしろ「廃棄するためではなく、成就するために来ました」と言われました。(マタイ5:17)言ってみれば、イエスは律法を緩めたのではなく、そのハードルを上げたのです。:「あなたがたの義が、律法学者やパリサイ人の義にまさるものでないなら、あなたがたは決して天の御国に、はいれません。」(5:20)そして、イエスは27節から30節までで、次のように付け加えています。

「『姦淫してはならない。』と言われたのを、あなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。だれでも情欲をいだいて女を見る者は、すでに心の中で姦淫をおかしたのです。もし、右の目があなたをつまずかせるなら、えぐり出して、捨ててしまいなさい。からだの一部を失っても、からだ全体がゲヘナに投げ込まれるよりは、よいからです。もし、右の手があなたをつまずかせるなら、切って、捨ててしまいなさい。からだの一部を失っても、からだ全体ゲヘナに落ちるよりはよいからです。

ですから、姦淫は(情欲を抱いて見ることも含めて)もし悔い改めなければ、永遠に神にのろわれるのです。もし、心の目が女の人を、情欲を持って見て、その人を裸にして抱くことを考えだし、その人があなたの妻でないときは、あなたは心で姦淫をするのです。イエスによれば、そのような人は、実際に妻でない不特定多数の女性と関係を持っている人と、まったく同じなのです。「もし、右の目があなたをつまずかせるなら、切って、捨ててしまいなさい」と言ったとき、イエスは心の目のことを言ったのです。

不倫に関する統計の要約

 41%の結婚において:夫婦の片方、あるいは両方が肉体的あるいは感情的な不倫を認めています

57%の男性が、すべての恋愛関係の中で、不倫をしたことを認めています。

22%の結婚している男性が、結婚生活の中で、少なくとも一度は不倫をしたことがあります。

14%の結婚している女性が、結婚生活の中で、少なくとも一度は不倫をしたことがあります。

36%の男性と女性が、職場の同僚と関係を持ったことがあると認めています。

35%の男性と女性が、出張先で不倫をしたことがあると認めています。

17%の男性と女性が義理の弟や義理の妹と関係を持ったことがあると認めています。

不倫の平均的長さ:2年

74%の男性が、もし見つからないとわかっていたら関係を持ったであろうと言っています。

68%の女性が、もし見つからないとわかっていたら関係を持ったであろうと言っています。

79%の回答者が、結婚している人と関係を持つことは認められないと言っているにもかかわらず、驚くべきことに46%が、結婚している人と関係を持ったことがあると認めています。

離婚したり別居したりしたことのある男性は、浮気をする確率が2倍あります。(14%に対し28%)

離婚したり別居したりしたことのある女性は、浮気をする確率が2倍あります。(7%に対し19%)

離婚した両親の子供は、結婚生活がうまくいっている両親の子供の、少なくとも50%よけいに離婚する傾向にあります。

夫と妻が離婚した家庭の出である場合には、離婚の確率は200%高くなります。

イギリスを拠点とする法的サービス会社であるDivorce Onlineの調査によれば、昨年の離婚申請書の3分の1以上に、Facebookという言葉が含まれているそうです。

American Academy of Matrimonial Lawyers(アメリカの結婚に関する弁護士の協会)によれば、81%の会員が、Facebook、Twitter、そしてYouTube やLinkedInを含むその他のソーシャルネットワーキングサイトから見つけた証拠を利用するかそれに直面することになったと言っています。

66%の弁護士が、Facebookから見つけた過ちをオンラインの証拠として引用しているとの調査があります。

5人に1人の大人がFacebookを浮気に使っています。(情報源としては、詳しくは The Big Blog Post on Adultery

愛は不正を喜ばずに真理を喜びます(Ⅰコリント13:6)

神が私たちを愛するようにと言うとき、それは生ぬるいものでも、はっきりしないものでも、壊れやいものでもありません。それは私たちが罪を犯したときよくやったと言うことはありません。神を怖れない友だちはそう言うかもしれません。神を怖れる友だちは、いつもあなたのすることに味方するわけではなく、神の側に立ちます。愛は真理を支持します。実際、書かれたものの中で、性的な罪に関して最も直接的な勧めの一つは(Ⅰテサロニケ4:1-8)は、「パウロにとってとても大切な人たち」となり、また「パウロにしきりに会いたがっている」テサロニケの人びとに向かってパウロによって書かれたものです。聖書の真理は人を自由にし、私たちは「真実をもって愛する」ようにと召されています。イエスは罪びとの友であり、「恵みとまことに満ちて」いました。(ヨハネ1:14)そして、「律法はモーセによって与えられ、(しかし)恵みとまことはイエス・キリストによって実現した」のです。(ヨハネ1:17)

ある時、ヨハネ8章の中で、律法学者とパリサイ人は、姦淫の場で捕えられたひとりの女を連れて来て、イエスがどうなさるかを見ようとしました。聖書には彼らが、「イエスを告発する理由を得るために、イエスをためして」言ったと書かれています。(6節)同じことが、ルカ11:54でも起こり、ルカは彼らが、「言いがかりをつけようと」思って言ったと書いています。これは注目に値します。というのは、このようなことは、ブロゴスフィアやオンライン・フォーラムでも起こるからです。私もかつては、このように細かいことにうるさかったのですが、神の恵みにより悔い改めました。これはすべて、私が、経験と理解力に欠け、また恐れや不安感を持っていたことによります。そういう人たちはいつも良いことを喜ぶよりも、欠点に目を光らせています。そういう人たちは、何に賛成しているかよりも、何に反対しているかによって知られ、いつもあら探しばかりしています。イエスは彼らの心を知っておられ、「あなた方のうちで罪のない者が最初に彼女に石を投げなさい」と答えられました。言い換えれば、もしあなたが情欲を持って女性を見たことがないならば、もしあなたが思いと行いによって罪を犯したことがないならば、もしあなたの義が律法学者やパリサイ人の義にまさっているならば、そしてもしあなたが律法を完全に守っているのなら、彼女に石を投げる最初の人になれるのです。9節には、「彼らはそれを聞くと、年長者たちから始めて、ひとりひとり出て行き…」と書かれています。私たちが他人の罪を見るとき、それは私たちが自分自身の心にも同じ罪があることを見るときまでは、それがとても大きいものに思われます。ここで皮肉なことは、イエスだけが罪がなく、彼こそが最初に石を投げ、その女を罪に定めるにふさわしい方だということです。イエスだけが、正しい審判者なのです。なぜなら、イエスは人の罪深い心までも見抜かれるからです。

次にイエスはこう尋ねられました。「10節:婦人よ、あの人たちは今どこにいますか。あなたを罪に定める者はなかったのですか」11節で彼女は言いました。「主よ、誰もいません」このことは大切です。なぜなら、イエスの質問と、この女の答えは、この女は言うまでもなく、かれらのうちのだれも、他人を裁く正しい立場にはまったくなかったということを明らかにしているからです。このようにして、石を投げて彼女を罪に定める正当な立場にある、ただ一人の方が、「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。今からは決して罪を犯してはなりません」といわれたのです。イエスがこのように言われたのは、イエスはこれから十字架に付き、彼女の罪(また私たちの罪)のための罰を負い、私たちが死ぬはずの死を代わりに死んでくださるつもりだったからです。この女を殺すはずだった石、私たちのすべての罪のための罰は十字架上のイエスの上にのしかかりました。イエスは死に打ち勝ち、私たちが聖霊によって新しい命を持つために、肉体を持ってよみがえりましたが、このことはローマ8章に次のように書かれています。

「1節:こういうわけで、今は、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。2節:なぜなら、キリスト・イエスにある、いのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、あなたを解放したからです。3節:肉によって無力になったため、律法にはできなくなっていることを、神はしてくださいました。神はご自分の御子を、罪のために、罪深い肉と同じような形でお遣わしになり、肉において罪を処罰されたのです。4節:それは、肉に従って歩まず、御霊に従って歩む私たちの中に、律法の要求が全うされるためなのです。」

  1. 私たちは、神の法廷でキリストが成し遂げられた御業によって義とされるのです。「私もあなたを罪に定めない。」「キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。」
  2. 私たちはキリストの成し遂げられた御業を信じることによって聖なるものとされており、自由にされ生きる者となったのです。「行きなさい。今からは決して罪を犯してはなりません。」「いのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、あなたを解放したからです。」「肉に従って歩まず、御霊によって歩みなさい。」

真理は、自分を誇る罪深い気持ちを、私たちに突き付け、私たちに屈辱を与えることなくへりくだらせ、恵みは、私たちを思い上がらせることなく引き上げることによって、私たちを解放します。「恵みとまこと」はイエス・キリストを通して来るからです。

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Author: Outside The Camp

God's passion for His global glory is our passion for the gospel in Japan.

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