福音を中心とした生活:日本

生き方を変える力を持つ福音をあなたの日々の生活に結び付ける

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イエス「取税人や罪人の友!」

ルカ7:34

罪を犯して生活している人が、「その牧師は、私が罪を犯して生活しているにもかかわらず、私を差別しないし、私の事をあきらめません。私は、彼の中にイエスを見ます。それが、私が教会に戻った理由です。」と、ある主任牧師について語ったことを思い出しています。私は時々、福音を述べ伝えようとしている人から、その人の罪の話についてのemailを受け取ります。私は、人々に、あたかもへりくだっているかのように、自分の罪の話をすることが好きではありませんが、それと同じくらい、人々に、彼らの罪について話すことも好きではありません。私が福音を述べ伝えるのは、私がただ罪人であるばかりではなく、神の最高の恵みにより、(義⦅正しい⦆と認められた)聖徒でもあるからです。私が人々に福音の話をするのは、私が、罪人であり、文字どおりすべてを、神の恵みに頼っているからです。私の時間を人々のために使うことの一番大きな楽しみは、私たちの働きによらず、神の働きによって助けられた人々からの手紙を読むことです。そして、以下は、ある信仰の兄弟からのemailの抜粋で、その証は、私の心に、とても平安と喜びを与えてくれました。この証は、私に、立ち止まって、自分にもう一度以下の質問をする気持ちを起こしました。すなわち、イエスに従うものとして、私は、罪人の友なのだろうか、それとも敵なのだろうか?という問いです。このemailは以下のようなものです。

私はあなたに、あなた自身と、あなたが、私たちが一緒にいたときに注いでくださったすべての時間と恵みに私がとても感謝していることを知らせたいと思います。私が経験してきた困難の中で、あなたは、とても愛をもって、忍耐強く接してくださいました。あなたは私を兄弟として扱い、罪人として扱いませんでした。(私が罪びとのように行動していたにもかかわらずです。)私は、あなたが祈りと生活をかけて私を導いてくださったことにとても感謝しています。私のために開いてくださった聖書の箇所、私のために労してくださったことは、その時は無駄に思えたかもしれません。しかし、私は、そうではなかったと言いたいのです。私はその時はとても怒って、混乱して、主と、主の私の人生に対する計画からそれてしまっていました。私のことを決してあきらめずに、私のことを、共に恵みを受け継ぐ者として扱ってくださったことを、あなたに感謝しています。私は、私が罪の中にあって、神に服従していなかったことによって、あなたにどんなに大きな悲しみと痛みをもたらしたかを知っています。あなたに対して犯したこれらすべての罪を赦してくださるようお願いいたします。あなたは私を信頼し、私がこれらすべてのことを克服できると信頼してくださいました。それで、私が神に背き続けたことは、あなたをとても深く傷つけたに違いありません。私があなたにもたらしたどのような心の痛みもどうか赦してください。

「共に恵みを受け継ぐもの」という言葉が、あらためて私をとらえました。恵みの神学を信じて、なお、人との関係において、律法中心の教会になることがありうるからです。神様との縦の関係において信じていることは、私たちの社会学的環境の中で、横の関係として現れるからです。パウロが、ガラテヤの教会が、あまりにも早く「別の福音」の方に向いてしまうのに驚いたのは、別に不思議なことではありません。私が東京で、教会を導くにあたり、最も謙遜にさせられ、また、挑戦的にさせられていることは、常に恵みの神学を解き明かしつつ、恵みの環境をかもしだすことです。わたしは、「謙遜にさせられ、挑戦的にさせられている」と言いましたが、それは、信じていると思っていることと、実際に信じていることとは違うからです。恵みの神学を解き明かすことはひとつのことであり、しかし、教会や社会でお互いに接する中で、恵みを示すことは、また別の事だからです。実際のところ、恵みの福音を理解し適用することは、私たち自身の生き方においての成長の過程なのです。Ⅱペテロ3:18に、「私たちの主であり救い主であるイエス・キリストの恵みと知識において成長しなさい」と書かれているとおりです。すべての霊的な成長は、イエスの恵みと知識において成長することでなければならないからです。個人的な悔い改めは人生のふとした瞬間に起こります。罪と弱さは明らかにされ、神の恵みは、日常の小さなことがらの中で、私たちに示されます。

あなたが自分の人生を見る時に、あなたは自分の過去の罪を、今の神の恵みのゆえに、神をほめたたえるように導く以外のことと見ますか?それとも、まだ自分は基準に達していないと、自分を責め、自分を打ちたたき続けますか?あなたに自分の罪を告白してきた人々をどう扱いますか?彼らを自分とは違ったものとみなしますか?彼らがあなたを怒らせたときには、彼らの個人的な情報を、大人気もなく、彼らに不利になるように用いますか?それとも、あなたが祈って忍耐強く待つとき聖霊が働かれることを信頼して、彼らを、優しく悔い改めへと導きますか?自分が期待したほどすぐに悔い改めて変わらない人々のためにも忍耐ができますか?神が、あなたの時に長い間忍耐されたことを忘れて、すぐにあきらめてしまいますか?あなたの時にキリストがとても忍耐強かったように、あなたと同じような罪人に対して忍耐強いですか?あなたは日々、恵みの光の中に自分を見るようになり、キリストの恵みと知識において成長して共に相続にあずかる人々として、他人を見ていますか?  レイ・オルトランドが次のように言いました。

福音を中心とする教会は、色々な種類の罪人の集まりです。彼らをひとつにしているのは、恵みの王であるイエスです。彼らは、一緒に来て、共に集います。なぜなら、彼らは教会のメッセージや、教会の文化に恐れを感じないからです。神学は社会学を生み、社会学は、神学の中に姿を現します。すべての人は自由に主に信頼することができ、自分の問題に正直になり、新しいいのちの内に成長するのです。(The Gospel Coalition Blog)

私たちが罪の中にあったとき、私たちはイエスを愛し、イエスを友としたのではありませんか?では、他の人が罪を犯した時はどうするのでしょうか? 私たちは彼らを、神の恵みのもとに見るでしょうか? 罪人の友となることは、私たちが罪をよいと認めることではありません。しかし、私たちは、イエスの偉大な愛により罪から解き放たれたので、私たちは、イエスのように愛し、また忍耐強くなることを学ぶのです。私は完全な教会などないと信じています。しかし私は、健康的な、福音を中心とした教会はあり得ると信じています。恵みの福音について解き明かすことが、私たちをさらに赦せるように、さらに罪人に対して忍耐強くなれるように、また、さらにキリストにある兄弟姉妹を愛せるようにと、導くことができるように願います。

This post written by Joey Zorina originally appeared in OTC (Outside The Camp blog) used by permission.
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Author: Outside The Camp

God's passion for His global glory is our passion for the gospel in Japan.

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